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京都地方裁判所 昭和30年(モ)38号 判決

申立人 西村秀男

被申立人 久田徳二

主文

申立人の本件申立を却下する。

訴訟費用は申立人の負担とする。

事実

申立代理人は、京都地方裁判所昭和三十年(ヨ)第一号仮処分決定は、申立人に保証を立てさせて、これを取消す。訴訟費用は被申立人の負担とするとの判決を求め、その事由として、被申立人は、申立人を相手方として、右仮処分を申請したものであるが、その理由とするところは、「被申立人は別紙物件目録〈省略〉記載の不動産の所有権者であつて、従前より申立人にこれを賃貸し来つたか、申立人は被申立人の承諾なく、且、制止も肯じないで、擅にこれを改造し、造作を附加するのでその不信行為を原因として、賃貸借契約を解除し、賃貸家屋の明渡を訴求中、昭和二十九年十二月五日、申立人は過失により同家屋を焼燬させ、殆んど全焼するに至り、賃貸借の目的物の滅失により賃貸借契約は消滅したので、被申立人は訴の請求原因にこれを附加し、焼失家屋及び敷地の返還を求めることとし、その現状の変更を妨止するため、先に当庁に仮処分の申請をなし(昭和二十九年(ヨ)第六八七号)、その旨の仮処分決定を得て、その執行をなしたるも、申立人はその後大工、左官多数を動員して、焼残りの煉瓦壁等を利用し、建築工事をなし現状を変更しつつあるので、被申立人は回復することのできない損害を防止するため、更に本件仮処分の申請に及んだ」と言うに在つて、該申請に対し当庁は昭和三十年一月五日、別紙物件目録記載の物件に対する被申請人(即ち本件申立人)の占有を解き、申請人(即ち本件被申立人)の委任する京都地方裁判所執行吏に保管を命ずる。右執行吏は現状を変更しないことを条件として、被申請人(申立人)に右物件の占有をさせることができる旨の仮処分決定をなしたるものである。然しながら、本件家屋は前述の火災によつては、浴場の脱衣場は被害なく、浴室と釜場は天井のみ半焼し、居宅は七分通り焼失したるも北側五坪は残存し、目的物の滅失により賃貸借契約の消滅を来す如き全焼ではない。申立人は先の仮処分の執行後、只浴室の天井を張つたのみで、何等現状の変更をしたことなく、且、申立人は本件家屋の占有を他人をしてさせた事実がないから、現状の変更と言うものはないものである。元来本件仮処分の本訴訟の目的は賃貸家屋の明渡請求であつて、被申立人は該家屋を以ては賃料を取得することが目的であり、仮に家屋の返還を受けて、自ら浴場営業をするとしても、賃料に代る営業利益を得るのが目的であるから、被申立人の仮処分によつて保全される権利は金銭的補償を得るによつて終局の満足を得られるものであることが明確であり、又、本件家屋は浴場であり、申立人は同所において久しき以前より浴場営業を経営しており、昭和二十九年十二月五日の火災の程度は、前述の如き範囲であるから、浴室の天井のみを張れば、浴場営業は再開できる状態であつたので、申立人は近隣の浴場利用者の要望に応じ、天井を張つて営業を再開しようとしたものである。然るに被申立人の不当なる仮処分申請により申立人が賃借中の浴場家屋の占有を奪われるに至つては、浴場営業を休止しなければならず、公衆衛生上重大なる関係に在り、本件は民事訴訟法第七百五十九条に所謂特別の事情ある場合に該当することが明白であるから、保証を立てて仮処分の取消を求めると陳述した。〈立証省略〉

被申立代理人は主文の如き判決を求め、答弁として、被申立人が申立人主張の如き事由に基き、本件仮処分の申請(昭和三十年(ヨ)第一号)をなし、申立人主張の如き仮処分決定のあつたことは争わない。然しながら本件家屋は、昭和二十九年十二月五日の火災により殆んど全焼し、天井のみならず、支柱と壁の大部分をも焼いて、家屋としての効用を失つたものである。そこで被申立人は本訴訟たる昭和二十八年(ワ)第四八五号事件において、従来よりの主張原因事実に、更に建物滅失による賃貸借契約の終了せる事実を附加した。右の如く本件家屋は申立人の過失により焼失したのであるが、申立人はその焼跡に新築をなし、又は、焼残りの建物に加工する虞れがあつたので、被申立人は仮処分(昭和二十九年(ヨ)第六八七号)を申請し、本件家屋を執行吏の保管に移し、(申立人に使用を許される)申立人が現状変更をすることを禁止する旨の仮処分決定を得、昭和二十九年十二月七日その執行をなしたるものである。然るに申立人はこれを無視し、同年十二月二十八日より多数の大工、左官を動員して工事を始め、仮処分公示書まで破棄し、同月三十一日執行吏より封印破棄罪の告発をも受けたので、被申立人は已むなく昭和三十年一月五日、本件仮処分決定(昭和三十年(ヨ)第一号)を得てその執行をしたものである。本件家屋が火災により滅失した以上は、焼残り物件存するも、申立人は之に加工築造をする権利はなく、これをなすにおいては被申立人の後に附加した請求原因に基く、請求の基礎を不明にすることになり、又、前述の状況においては、或は申立人は焼跡に新建物を築造し、これを自己の所有なりと主張するやも計り知れず、今後幾多の争議を重ねなければならないかを憂うるものである。以上の事実関係なるにより、被申立人が本件仮処分により保全しようとする権利は、到底金銭的補償によりその終局の目的を達し得られるものでない。又、申立人は本件仮処分の執行は、公衆衛生上多大の影響があると言うが、近隣の者が本浴場の休業により、不便を感ずるに至つたのは申立人の失火が原因であり、浴場営業は自由廃業を許されないものでもなく、殊に本件浴場の附近には諸所に営業せる浴場があり、近隣者は浴場の利用につき不便を感ずることはないから、本件には公衆衛生上よりする仮処分取消の事由もないと陳述した。〈立証省略〉

理由

被申立人が申立人主張の如き事由に基き、当裁判所に仮処分の申請をなし(昭和三十年(ヨ)第一号)、昭和三十年一月五日申立人主張の如き仮処分決定のなされたことは、当事者間に争のないところである。

申立人は(一)本件仮処分により保全せられる権利は金銭的補償を得るによつてその終局の目的を達し得られるものであり、(二)本件仮処分の執行は、公衆衛生上多大の悪影響を及ぼすものであるから、特別の事情あるものとして、仮処分の取消を許さなければならないものであると主張する。仍てその当否につき以下順次判断をする。

第一、金銭的補償により終局の目的の達成が得られるか否かの点

凡そ特定物の給付を保全する為めになされる仮処分は、金銭的給付を保全する仮差押とはその本質を異にし、保全される給付に代えるに、金銭的補償を以てしても、仮処分申請人たる債権者をして、満足を得させることができないのを普通とする。只例外的に、債権者が金銭債務の弁済を確保するために設定した担保権の目的物、又は商人の転売を目的とする商品におけるが如く、特定物の給付と雖も、本来その交換価額を目的とし、所謂金銭的利益を得るを終局の目的とするものにおいては、仮処分申請人は、本来の給付に代えるに金銭的補償を以てしても、その権利の満足を得る点において何等差異なき場合がある。かかる場合が民事訴訟法第七百五十九条に規定する、特別の事情あるときに該当するは勿論である。本件申立人の保全しようとする権利が、申立人主張の如くかかる種類に属するものか否かを見るに、被申立人が本件仮処分の申請をなしたる事由は、「被申立人は申立人に、その所有の別紙物件目録記載の家屋を賃貸したものであるところ申立人は賃借物につき、擅に構造の変更を加えるので、これを理由として賃貸借契約を解除し、その明渡を求める訴を提起中、昭和二十九年十二月五日、申立人の過失により賃貸家屋が殆んど全焼したので、目的物の滅失により賃貸借契約は消滅したりとし、これを附加原因として、その焼失家屋及び敷地の返還を求め、焼失した状態において家屋の返還を求めるため、先に当裁判所に仮処分の申請をなし、裁判所は昭和二十九年十二月六日、建物の焼失を認め、修改築が加えられるにおいては、滅失建物が復活し、目的物の滅失による契約消滅の事実が不明瞭となり、又は、所有権の帰属等に不明確なる状態が生じ、執行に支障を生じる虞ありとし、申立人のこれに対する占有を解き、京都地方裁判所執行吏にこれが保管を命じ、執行吏は現状を変更しないことを条件として、申立人に右土地建物の使用を許すことができる旨の仮処分決定(当庁昭和二十九年(ヨ)第六八七号)を発した。然るに申立人は右仮処分決定が執行された後に、家屋として既にその存在価値を失つた焼残りの建物につき、多数の大工左官を使用して修改築工事をなし、現場を変更して、被申立人のなす賃貸目的物の滅失による本件不動産返還請求権の基礎を不明にする所為があつたので、先の仮処分を以ては被申立人の権利を保全するに不十分であるから、更に本件仮処分の申請に及ぶ」と言うに在つて、当裁判所は被申立人提出の乙第一乃至第四号証、同第五号証の一乃至五により、被申立人の主張事実が疏明せられたものと認め、申立人主張の如き仮処分決定を与えたものである。(現状変更の有無は当該仮処分のなされた目的、状況等に稽え、これを考察しなければならぬもので単に転貸等占有主体の変動を防止するために、現状の変更を禁じたときは、占有者さえ変更がなければ現状の変更がないものと言えるが、前掲当庁昭和二十九年(ヨ)第六八七号仮処分決定の如く、焼失状況の保存を目的として現状の変更を禁じたときは、焼失家屋の修改築は現状の変更となる。尚この場合、先に与えた昭和二十九年(ヨ)第六八七号仮処分決定を一部変更する旨の決定をしてもよいのであるが、本件の如く、更に同一本訴訟につき、二個の仮処分決定をなすことも可能である。)然らば昭和三十年(ヨ)第一号の本件仮処分事件において、申請人たる被申立人の保全しようとする権利は、焼失した現状において、即ち、賃貸借契約の消滅した現状における焼残り建物及び土地の返還に在ると言わねばならず、(仮処分決定の物件目録の建物表示は、完全なる建物が現存するとしたものでなく、焼残りの建物を表示する旧称を蹈襲したものである。)而も申立人が執行吏よりその使用を許されるにおいては、現状を変更される虞があり、かかる場合には仮処分の取消は、被申立人の本訴訟における請求権の存否に影響し、或は請求権自体を否定される結果を招来するから、金銭的補償を得るによつて、その終局の目的を達し得られるものとは言い難い。若しそれ我法制の下においては、総ての権利侵害は名誉毀損等の場合を除き、総て金銭的賠償を以て満足しなければならないとの理由にて、総ての権利が金銭的補償により満足し得るものとするならば、特定物に対する仮処分の制度を設けたる趣旨を全然無意味としてしまうであろう。

申立人は被申立人は単に賃料の取得のみを目的として、本件家屋を所有するものであり、又は、賃料に代る営業利益を得るのが目的であると出張するが、甲第二号証の一、二その他の疏明資料によつてはこれを認めることができない。

第二、本件仮処分は公衆衛生上悪影響を及ぼすか否かの点

浴場営業が公衆衛生上重大なる関係を有し、その営業休止によつて、近隣居住者が浴場の利用を絶たれるときは、多大の影響を受けることは明かであるが、本件申立人営業の焼失浴場の附近には、なお栄湯等四ケ所の営業用公衆浴場存し、本件浴場の近隣居住者はこれを利用すれば足り、本浴場の営業休止により浴場の利用を絶たれる結果とならないことは、乙第十一号証により疏明あつたものと認めるから、本件仮処分が公衆衛生上悪影響を及ぼすものと断ずることはできない。

叙上説示の如く申立人が本件仮処分を取消すにつき存するとする特別の事情なるものは、何れもこれを肯定することができない。そうして昭和三十年(ヨ)第一号仮処分決定の当否に関する争は、仮処分異議において審理するものであつて、本件仮処分取消の申立においては判断の範囲に属しないから、申立人の本申立は総て理由なきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文の如く判決する。

(裁判官 箕田正一)

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